略歴
1940年 0歳 旧満州大連で生まれる。
1945年 5歳 終戦。この後2年間、一家は大連で味噌や豆腐を売って生活する。
1947年 7歳 貨物船で日本に引き揚げ。勝彦の母の郷里である岡山県上房郡で落ち着き、高校までここで過ごす。
1958年 18歳 鳥取大学学芸学部に入学。
1960年 20歳 重度の肺結核と診断され強制入院。1年あまり療養生活。
1962年 23歳 鳥取大学に復学。
1963年 23歳 鳥取県立図書館で初めての個展を開催。奈良県の私立帝塚山学園の教師として採用され、奈良に移住。
1969年 29歳 奈良文化会館にて油絵・書。水墨画の個展を開催。成功をおさめる。
1970年 30歳 個人誌『雲』第1号を発行。
1975年 35歳 勝彦の肉筆画一点一点を付録とした雑誌『銀花』が8万部発売される。
1981年 41歳 初めの自身の作品集『佐藤 勝彦の世界』を刊行。
1982年 42歳 三重県伊賀上野市にやきもの工房を持つ。
1986年 46歳 教師を退職。西ドイツにて個展開催。
1989年 49歳 石川県小松市にアトリエを持つ。
1991年 51歳 静岡観光キャンペーンで全国のJR駅に富士山のポスターが貼られる。
1994年 54歳 朝日新聞『アエラ』10月号に載る。
1996年 56歳 石川県加賀市で漆の絵付けを始める。
2001年 61歳 歌手 北島三郎の年賀ポスター、CDジャケットを描く。
2003年 63歳 フランス・パリにて個展開催。
2004年 64歳 台北にて個展開催。
2008年 68歳 ニューヨークにて個展開催。
2017年3月 77歳 永眠
現在までの個展開催は2000回を超える。
また、酒のラベル、菓子・食品のパッケージ、包装紙、書籍装丁、レコードジャケット、看板、門札、印刻など多数手がける。
1945年 5歳 終戦。この後2年間、一家は大連で味噌や豆腐を売って生活する。
1947年 7歳 貨物船で日本に引き揚げ。勝彦の母の郷里である岡山県上房郡で落ち着き、高校までここで過ごす。
1958年 18歳 鳥取大学学芸学部に入学。
1960年 20歳 重度の肺結核と診断され強制入院。1年あまり療養生活。
1962年 23歳 鳥取大学に復学。
1963年 23歳 鳥取県立図書館で初めての個展を開催。奈良県の私立帝塚山学園の教師として採用され、奈良に移住。
1969年 29歳 奈良文化会館にて油絵・書。水墨画の個展を開催。成功をおさめる。
1970年 30歳 個人誌『雲』第1号を発行。
1975年 35歳 勝彦の肉筆画一点一点を付録とした雑誌『銀花』が8万部発売される。
1981年 41歳 初めの自身の作品集『佐藤 勝彦の世界』を刊行。
1982年 42歳 三重県伊賀上野市にやきもの工房を持つ。
1986年 46歳 教師を退職。西ドイツにて個展開催。
1989年 49歳 石川県小松市にアトリエを持つ。
1991年 51歳 静岡観光キャンペーンで全国のJR駅に富士山のポスターが貼られる。
1994年 54歳 朝日新聞『アエラ』10月号に載る。
1996年 56歳 石川県加賀市で漆の絵付けを始める。
2001年 61歳 歌手 北島三郎の年賀ポスター、CDジャケットを描く。
2003年 63歳 フランス・パリにて個展開催。
2004年 64歳 台北にて個展開催。
2008年 68歳 ニューヨークにて個展開催。
2017年3月 77歳 永眠
現在までの個展開催は2000回を超える。
また、酒のラベル、菓子・食品のパッケージ、包装紙、書籍装丁、レコードジャケット、看板、門札、印刻など多数手がける。